鬼女の備忘録

このブログは、主に2ちゃんねるの面白いと思った鬼女・修羅場・恋愛・結婚に関連したスレをまとめています。読み応え抜群の長編記事を厳選して投稿しております。

祖父

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前編 後編

85名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)11:49:15 ID: ID:X3u

落ち着きも取り戻した頃、祖父は口を開いた。

祖父「大体、お前らが俺に何をしてくれたか覚えているようだ。

だから家に社員が来た時も覚えている。
俺は、その社員が家に来た様子で何をしたかも覚えている」

自然と背筋が伸びた。
かつて見た覇気溢れ威厳を持っていた祖父だった。

そんな祖父が最後の最後に。

「……ただ、夢だったら、と思っていた」

実に寂しそうな祖父の姿がそこにあった。
そこだけ雨が降っているかのようにどんより沈んでいた。

祖母が「ご苦労をお掛けして申し訳ございません。私もしっかりしてたら」と言うと、

祖父は「誰が辛い苦労している以前に(叔父)が悪いんだ。
それよりもここ最近は良くなったのか?俺はその後が気になる。
俺の前だけ良くしていた訳じゃなければいいだが」

そこに関しては、最初の一年はギクシャクしたが、上手く行っていることを伝えた。
俺も就職したし、家の方は取られることもなく上手く行っている、と。

祖父はニッコリして「そうか、俺はお前らに感謝しかできないなぁ」と言った。
そこで祖父はようやく涙を流し、重く深く頭を下げた。

背後の心拍計の数字が見る見るあがっていたので、祖父の心中は察することができた。



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前編 後編
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1名無しさん@おーぷん : 2016/01/14(木)08:29:13 ID: ID:RUP

不思議体験と言うか、なんとなくこの話を大勢の人に話したいなぁと思ってスレ立てた

俺の祖父はというと、多くの特許を取得したと言う町工場の社長だった。
俺が覚えている一番古い記憶(何歳か不明)では、
すでに隠居を始め工場に顔を出すことも少なくなっていた。
享年98の大往生から逆算すると、当時祖父は70ぐらいだろう。
70にしてはガタイはよく覇気はあり声もデカイ。
見た目40とかそこらのオジサンと言っても十分に通用したと思う。

だからこそ、俺が高校生の頃に大ボケ始めた頃はショックだった。


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508: 素敵な旦那様 2005/12/07(水) 22:20:41
つーか、今年は嫁のおやじさんが亡くなったから、 
正月行かないっつーのはおいといてもだ、 
生前から行ってないのはなんでだ?

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492: 素敵な旦那様 2005/12/07(水) 22:13:56
373がこのスレの住人だったとはとても思えない。 
一度自分のレスを第3者として読んでみたらどうだ? 
そこで、客観的に判断してみなよ。


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445: 素敵な旦那様 2005/12/07(水) 21:43:10
昼は、俺の実家に対する「正月帰る必要なし」という意見が多かったのですが、 
さすがにそれはちょっと・・・と思っています。 
その辺は礼儀として正月には挨拶に行った方がいいと思うのですが、どうなんでしょうか? 
また、33回忌で母方祖父の法事が最後になるのですが、 
その際、妻を連れて行かないのは無礼にあたるということはないでしょうか? 
冠婚葬祭としてどうなのか、本当のところを教えていただけるとありがたいです。 
妻にはまだ法事のことは、連絡していません。


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397: 素敵な旦那様 2005/12/07(水) 15:45:47
妻から旅行を提案されたから、実家に行かないとか、 
妻の日程が合わないから、「予定がある」と断れるとか、 
なんか違う気がすんだけどなー。


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373: 素敵な旦那様 2005/12/07(水) 14:43:21
ちょっと相談よろしいでしょうか。 
冠婚葬祭かとも思うのですが、長男教の要素もありまして。 

私の母方の祖父の33回忌があります。 
母から、私の妻を連れてくるように言われました(結婚3年目です)。 
しかしながら、私の姉は呼ばれていません。 
母の実家および、母は長男教的な考えをしています。 
姉が呼ばれていないのに、私の妻を呼べというのはちょっと?と思いましたのですが、 
これは普通なのでしょうか? 

ちなみに妻は、毎年元旦は私の実家にて、おさんどんをしています(もちろん手伝っています)。 
正月二日は、私の母の実家に挨拶しに行っていますので、全く無関係というわけではないのですが・・・。 
この辺の距離感がわからないので、教えていただければ幸いです。

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前編 後編

85
名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)11:49:15 ID: ID:X3u

落ち着きも取り戻した頃、祖父は口を開いた。

祖父「大体、お前らが俺に何をしてくれたか覚えているようだ。

だから家に社員が来た時も覚えている。
俺は、その社員が家に来た様子で何をしたかも覚えている」

自然と背筋が伸びた。
かつて見た覇気溢れ威厳を持っていた祖父だった。

そんな祖父が最後の最後に。

「……ただ、夢だったら、と思っていた」

実に寂しそうな祖父の姿がそこにあった。
そこだけ雨が降っているかのようにどんより沈んでいた。

祖母が「ご苦労をお掛けして申し訳ございません。私もしっかりしてたら」と言うと、

祖父は「誰が辛い苦労している以前に(叔父)が悪いんだ。
それよりもここ最近は良くなったのか?俺はその後が気になる。
俺の前だけ良くしていた訳じゃなければいいだが」

そこに関しては、最初の一年はギクシャクしたが、上手く行っていることを伝えた。
俺も就職したし、家の方は取られることもなく上手く行っている、と。

祖父はニッコリして「そうか、俺はお前らに感謝しかできないなぁ」と言った。
そこで祖父はようやく涙を流し、重く深く頭を下げた。

背後の心拍計の数字が見る見るあがっていたので、祖父の心中は察することができた。


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前編 後編

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名無しさん@おーぷん : 2016/01/14(木)08:29:13 ID: ID:RUP

不思議体験と言うか、なんとなくこの話を大勢の人に話したいなぁと思ってスレ立てた

俺の祖父はというと、多くの特許を取得したと言う町工場の社長だった。
俺が覚えている一番古い記憶(何歳か不明)では、
すでに隠居を始め工場に顔を出すことも少なくなっていた。
享年98の大往生から逆算すると、当時祖父は70ぐらいだろう。
70にしてはガタイはよく覇気はあり声もデカイ。
見た目40とかそこらのオジサンと言っても十分に通用したと思う。

だからこそ、俺が高校生の頃に大ボケ始めた頃はショックだった。


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: 改名希望嫁◆oCu85Usf862007/06/14(木) 10:21:53
「○重兵衛」という名前と聞いて、私も時代小説とかは好きでよく読みますが 
さすがにこれはないだろうと思って夫にそう言ったら 
「今、幸之丞とか泰之新とか流行ってるから、そんなに変じゃない。 
 しかもうちのは立派だった人に肖った名前なんだから。」と言っていました。 
私の意見<トメの意見なんだろうと思いますが、 
会社で若くて可愛い女の子や、同僚や先輩や上司、いろいろな世代から 
「ありえない」と言われて初めて気が付いたのかなと思います。


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