前編 後編

65: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/02(土) 23:37:23.69 ID:JGPgHEcc0
さて、退院は出来ないとなっても、外泊は相変わらず続いていた。 
そして3度目だったか4度目の外泊の時、ついに俺は自杀殳を決意した。 
今まで何度か自杀殳を考えたことはあったが、マジでタヒのうと思ったのはこの時が初めてだった。 
このままだったら一生病院にはいっていなければならないかもしれない。 
そう思うと、タヒんだほうがマシだと思った。 
近くのスーパーで数メートルのロープ(880円だったかな)を買って、ネットで結び方を調べて、ややかたちは悪いものの、なんとかタヒねそうなものが出来上がった。 
後はタヒぬ場所を選ぶだけだった。 
ロープを細工している最中はなんとも無かったが、いざタヒに場所を選ぶとなると、「俺、マジでタヒぬんだな…」と一気に現実味が増してきた。 
よく、今までの人生が走馬灯のように駆け抜けるというが、私の場合、そんなことは無かった。 
タヒへの恐怖で、そんな事を考えている余裕など無かった。


この時、病院に帰らなければいけない時間だったので、母親が「そろそろ病院に帰る支度をしなさい」と言ってきたのだが、俺は「帰らん!」の一点張りで跳ね除けた。 
タヒに場所は簡単に見つからず、そうこうしているうちに日が暮れた。 
しばらくしていると、母親が「今日は延泊(※5)貰ったよ」と言ってきたので、自杀殳は後日に延期になった。 

※5 
外泊を延期すること。 
母親が病院に電話したら、病院側がもう一泊する許可をくれたらしい。 
なんだか意外と緩くてびっくりした。





67: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/02(土) 23:42:07.96 ID:JGPgHEcc0
朝起きると、どうやって自杀殳しようか迷った。 
首吊り自杀殳は一瞬でタヒねるらしいが、それまでの恐怖に耐える自信が無かった。 
酒と薬で自杀殳するのが一番恐怖感が少なくて済むと思ったのだが、当時はどんな薬でタヒねるのか知らなかったし、第一どこで手に入るのかも分からなかった。 
また、金もほとんどなかった。 
首にロープを引っ掛けて、自分の手で引っ張って首を絞めてみたりしたが、どうしてもタヒぬ前に「咳き込む」。やはり、確実にタヒぬには、どこかにロープを引っ掛けて、首の骨が折れるくらい勢いよく首を引っ掛けるしかないらしい。 
もしくは、酒を飲んで電車に飛び込むか。酔っていれば恐怖感も薄れるかもしれない。 
賠償金を請求されると言うが、タヒんだ後のことなど知ったこっちゃ無い。 
よく、「周りに迷惑かけるタヒに方はするな」などと言う輩が居るが、タヒぬ本人からすれば、確実で、怖くないタヒに方でタヒぬのが一番大事なのであり、他人のことなど本当にどうでもいいのだ。究極的に自己中心的な考え方だが、これが自杀殳者の本音だ。

68: 1 2011/04/02(土) 23:43:46.25 ID:JGPgHEcc0
そうこう思案しているうちにまた病院に帰る時間になったが、今度は母親に「病院に帰るくらいなら、俺はタヒぬぞ!!」とはっきりと言ってのけた。 
そうすると母親は病院に連絡して、あれこれ話をした後、その足で病院に行った。 
数時間経って帰ってきた母は、「退院させてもらったよ」と言った。 

病院側もさすがにタヒなれては始末が悪いと思ったのだろう。 
ただ、私はこの言葉がすぐに信用できず、母親はウソをついていて、俺が寝込んだ隙を狙って家に看護師がやってくるに違いないと思っていた。 
その晩は遅くまでおきていて、眠りについてからも少し経っては起きて、看護師がやってきていないか、確認してからまた眠りについた。 
退院ができたとようやく信じることができたのは、数日経ってからの事だった。

73: 1 2011/04/02(土) 23:46:09.07 ID:JGPgHEcc0
ロープは自分の部屋に保管しておいたのだが、気がついたら消えていた。 
母が捨てたのだろうと思っていたのだが、ある日ガレージの物置を覗いてみると、袋の中に丁寧に保管されたロープが残っていた。結び目も解かれていなかった。 
これは母が暗に「さっさと自杀殳しろ」と俺に言っているのだろうか、そう思って、退院してからもずっと家族に対する不信感が消えなかった。 

病院を退院してからは、入院で断念せざるを得なかった大学受験の夢をもう一度挑戦する事にした。 
その為に4月から予備校に通い、全てが順調に動き出した。 
通院はO病院の北条医師に2週間に1回通うことになっていた。 
Sクリニックで出されていた薬を北条先生に見せたところ、 
「何でこんな薬出すんだ?こんなの飲んだら神経逆撫でして逆効果だと思うんだけどなぁ。」 
という風な意見が出て、Sクリニックに通う気にはなれなかったからだ。 

通院し始めの時、こんなことがあった。 
北条医師に、「退院したけど、これからどうすんの?」と聞かれ、
私は「予備校に通って、早稲田か慶應を目指したいと思っています!」と自信満々に答えた。 
早慶は現役時代からの志望校だったから、引き続き目指そうと思ってこう答えたのだが、
北条医師の答えは「あ、そうw」という小ばかにしたような返答だった。 
私の答えの何がおかしかったのか、いまだによく分からない。 
医学部出身の彼からすれば、早慶など大した学歴でないということか? 
それとも精神病者が早慶を目指そうなどおこがましいということか? 
分からない。

75: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/02(土) 23:49:32.65 ID:fbhJckAG0
>>73

逆に入院した時に飲んでた薬をSクリニックには持っていってみなかったの?

77: 1 2011/04/02(土) 23:54:05.15 ID:JGPgHEcc0
>>75
 
行かなかったです。
Sクリニック=やぶ医者みたいなイメージになっちゃってたので。

80: 1 2011/04/02(土) 23:58:07.87 ID:JGPgHEcc0
その後予備校に通い続けたが、せっかく入院中にやめていたものを、ちょっとしたことをきっかけに再飲酒に走ってしまい、どんどん飲酒の量が増えていった。 
断っておくが、私はあまり酒の味は好きではない。 
ただ、昔から嫌な事があるたびに酔って忘れる習慣があって、それがいつまで経ってもなおらないのだ。 
そうこうしているうちに予備校を休んでまで酒を飲む日が出てきて、とうとう一学期の途中に予備校を止めてしまった。 
予備校をやめてからはさらに酒の量が増え、外に出ないのが原因だろうか、ストレスもどんどん溜まっていった。 
この頃、風邪をひいてしまい、病院から処方されている精神安定剤と風邪薬を一緒に服用していいかどうか分からなかった為、風邪薬だけを飲んで、精神安定剤は2,3日の間飲まないでおいた。 
この事を北条医師に報告すると、彼は私にではなく、私の母親に激怒した。 
北条「何で飲ませなかったの。」 
母「…えっ。」 
北条「何で飲ませなかったって聞いてんだよ。」 
母「すみません、風邪薬と併用していいのか分からなかったものですから。」 
北条「そんぐらい、病院に問い合わせりゃいいんじゃないの?そんぐらいわかんないの?」 
母「すみません、そこまで頭が回りませんでした。」 
北条「今の薬は飲み合わせても大丈夫なようにできてんだよ。分かれよ。」 
母「はい、すみません。」 
ひたすら謝る母の姿を見て、私は悲しいのと同時に、北条医師に対して心の中で憤怒した。 
何故薬を飲まなかった程度でここまで言われなければいけないのか。 
それに、飲まなかったのは私だ。文句があるなら私に言えばいい。堂々と受けて立つ。 
なんだか、母親に罪をかぶせているようで申し訳なかった。 
というか、 
「今のお薬は併用しても問題ないですから、心配しないで下さいね。次から分からない事があれば、病院に問い合わせて下されば、こちらとしても助かります。」 
この言葉でお互いに気持ちよく済むのに、それが分からないのか。 
医者はコミュ力が無いというが、まさにこの人は典型的なパターンだなぁと感じた。 
とにかく、これがきっかけで、北条医師の元に通院することは無くなった。

94: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 00:13:56.80 ID:KEFhZ98N0
>>80
 
北条先生は悪くないんじゃないのかと思う 
>>1
がどうしようもない状態で薬もまともに飲めなかったことを知っていたからカーチャンを怒ったんじゃないのか

97: 1 2011/04/03(日) 00:17:46.38 ID:ivZh0DNT0
>>94
 
当時未成年だったし、「保護者しっかりせい!」っていう喝を入れる意味で叱ったんですかね。 
そのわりにはかなり感情的でしたが。

99: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 00:22:14.23 ID:FH78MlPfO
>>97
 
ソレお前のためを思って母親叱ってるんじゃね?

100: 1@地図作成中 2011/04/03(日) 00:26:02.51 ID:ivZh0DNT0
>>99
 
泣けてきた

82: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 00:01:53.38 ID:yoO+j/2J0
あんた何歳だよw 
無難にフリーターからやってみろよ 
大学でても仕事できんかったら意味ないし

89: 1 2011/04/03(日) 00:10:25.48 ID:ivZh0DNT0
>>82
 
大学1年生ですよ。ただしオッサンの・・・。

83: 1 2011/04/03(日) 00:03:56.67 ID:ivZh0DNT0
元々北条医師は嫌みったらしくて偉そうで大嫌いだったのだが、今回の件で堪忍袋の尾が切れた訳だ。 
その後、役所で木下先生を紹介してもらったのだが、この先生はすごく親切で、私の話も丁寧に聞いてくれるし、私のことを非難する事も無かった。 
「ああ、いい精神科医もいるんだ。」と心の底から安心した。 
しかしこの先生にお世話になってからも、飲酒が止まることは無く、心も荒んでいった。 
これは木下先生が悪いのではなく、私が悪いのだ。0:10で私に非がある。

さて、7月中旬、酒は入っていなかったが、イライラが絶頂に達し、部屋で大声を出して、物を投げたりしていた。 
自杀殳しようと思い、カミソリで太ももを切ったが、小さなカミソリだったので、かなり出血したものの、動脈までは達しなかった。 
その後2,3度試したが、結果は同じだった。 
しばらくボーッとしていると、パトカーの音が聞こえてきた。 
窓から外を見てみると、私の家の前に止まっているではないか! 
近所の連中が俺の大声を聞いたか、物音を聞いたかで、通報したらしい。 
余計なことをしてくれる。 
しかし、あれこれ考えている余裕は無かった。 
頭に浮かんだのはひとつだった。 
「やべえ!また精神病院に入れられる!」 
それだけは絶対に御免だったので、急いで逃げる決意をした。 

91: 1 2011/04/03(日) 00:11:39.60 ID:ivZh0DNT0
夏だったのでパンツにシャツだけという格好だったが、着替えている時間などない。 
急いで階段を駆け下りて、玄関のドアを開けると、ガレージに体格のいい警察官が2,3人立っていた。 
その側に祖父と母が立っていて、家には俺が居るだけの状態だった。 
どうやら、先に家族だけ避難させて、後から警官が特攻してくる作戦だったらしい。 
しかしそれも失敗だ。 
私は猛ダッシュで出口に突っ走ると、出口付近に立っていた母親は何を思ったのか、 
「きゃあああああああああ!!!やめてえええええええええ!!!」 
と大声で走り出した。何がヤメテだ。やめてほしいのはこっちだぞ! 
精神病院だけは絶対にやめてくれ! 
多分、母親は激高した俺が暴力を振るいに来たと勘違いしたんだろう。 
股間から大量の血を流して必タヒの形相で突進してくる俺の姿は、傍から見ればさぞかし異様だったに違いない。 

靴を履く暇も無かったので裸足で駆け出した俺は、警官の合間を駆け抜けて、途中服を掴まれながらも、それを払いのけながら何とか逃げぬけた。 
股間からポタポタと血を流しながら、民家の間をパンツとシャツだけという変質者のような格好で歩いている途中、大変なことに気がついた。 
真夏の地面というのは、物凄く熱いのだ。 
走っている最中は無我夢中だったので気がつかなかったが、こうして歩いてみると、とても立っていられない。 
なんとか日陰を探しながら、私はアパートのポストの陰に隠れて休憩することにした。 
すると無線で会話中の警察官がすぐ近くまで歩いてきて、あたりを捜索しているのが見えた。 
「18歳の男の子。足に傷を負っており、出血している。えー、また、服装はパンツとシャツだけ。裸足で逃走中。現在○○町付近に潜伏中と思われる。えー、どーぞー。」 
というような無線の声が聞こえてきて、驚いた。 
短時間でここまで正確な情報がまわるなんて、やはり警察の情報網はすばらしいと思う。 
っていうか、“○○町付近に潜伏中と思われる”って、私は犯罪者か。 
ただ、すぐ近くまで来ても全く私に気づく様子は無くて、「なんや、意外と警察ってトロいやん」と思った。 
実際、こっちは息を切らしてハァハァ言っていたのだが、それにすら気づかずに通り過ぎてしまったのだから。

96: 1 2011/04/03(日) 00:15:34.23 ID:ivZh0DNT0
しばらく隠れているうちに、このまま隠れていてもどうしようもないことに気がついた。 
精神病院に行くのは嫌だが、もしかしたら厳重注意だけで済むかもしれない。 
そんな甘い考えから、近くに居た警察官に声をかけて、家に戻ることにした。 

家に戻った後、とりあえず足から出血しているという事で、病院に行くことになった。 
浅い傷なので私は行かなくてもいいと言ったのだが、警察官が「あかんあかん、行った方がいい。」としつこく言うものだから、しぶしぶ了解した。 
病院で手当を受けた後、地元の警察署に行き、何故部屋で暴れていたのか、何故逃げたのかを説明させられた。 
私は今までの経歴と、精神病院に入れられると思ったから逃げた、という話をした。 
それから、一番気になっていた、これで前科はつくのか?という事を聞いたが、別にこの程度のことで前科はつかないという事だった。 
結局この取調べは数時間に及んだ。 

後で知ったが、これは入院先の病院が決まるまでの待ち時間だったのだ。 
それとは知らず、俺はこれが終わったら家に帰れるんじゃないかと思って期待していた。 
しばらくすると警察官の制服を着ていない人たちがやってきて、今から病院に行きます、と行って車に乗せられた。 
車の中にはベッドがあって、暴れないためか逃走しない為か知らないが、ベッドに拘束されて運ばれた。 
心の中で、まるで杀殳人犯を護送するような扱いだな、と思った。 
頭の中では映画「羊たちの沈黙」で厳重警備の中護送されるハンニバル・レクターが思い浮かんでいた。

98: 忍法帖【Lv=28,xxxPT】 2011/04/03(日) 00:21:00.39 ID:o79c6hcE0
>>96

暴れた後に手当てのため病院に行く 
一度経験すれば分かるけど、これ、物凄いフラグなんだよね・・・

100: 1@地図作成中 2011/04/03(日) 00:26:02.51 ID:ivZh0DNT0
>>98
 
精神病院直行コースってことですか? 
言われてみればそうかなぁ・・・ 

105: 忍法帖【Lv=28,xxxPT】 2011/04/03(日) 00:31:15.44 ID:o79c6hcE0
>>100

そうそう 
「手当て」って曖昧な表現にして、余計な手間を減らす意味があるのかなー 
と入院してるときに思ってた

104: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 00:30:41.42 ID:qNLdg3eNO
結局早稲田には行ったのか? 
メンヘラを黙らせる一言ってある?

107: 1 2011/04/03(日) 00:37:27.20 ID:ivZh0DNT0
>>104
 
出世して宮廷の文学部にいますよ。 
私なら「あまり興奮すると今より酷くなるから、とりあえず落ち着きましょう」って優しく言われたら黙りますよ。

108: 1 2011/04/03(日) 00:38:43.52 ID:ivZh0DNT0
病院につくと、精神保健指定医という国から指定された精神科医の元に案内され、 
「今からあなたが入院が必要かどうか診察します。」 
と言われ、また警察で話したような内容を一から話した。 
一通り話を聞いた後、医者は 
「私は精神科医として、今の話を聞いた後に、あなたを、はいそうですか、と言ってこのまま返すわけにはいきません。従って、入院措置を取ります。」 
と言ってのけた。 
私は入院だけはなんとしてでも避けたかったので 
「先生、入院だけは本当に勘弁して下さい。今後はきちんと通院してまじめにやりますから。」 
とみっともないのは承知で泣き言を連発したが、それでも 
「入院がつらいのは私も承知の上です。 
しかし、その辛い入院生活を耐えていく力をあなたには身に着けていってもらわないと困るんです。」 
と言って、医者は私の願いを断固拒否した。 
辛い入院を耐え抜く力を身につけなければならない、なるほど確かに正論かもしれない。 
そう思った私はその場で入院を承諾し、そのまま病棟に案内された。 

109: 1 2011/04/03(日) 00:41:25.96 ID:ivZh0DNT0
今回の入院は緊急措置入院(のちに措置入院)であり、入院期間は1ヶ月と定められている。 
その代わりに自分で退院を申告する事は出来ない。 
また、医療費は都道府県が負担してくれることになっていた。 
部屋で暴れたり、自傷行為のあった私は保護室からのスタートとなった。 
なぜか分からないが、メガネが危険物と見なされて没収された。 
(数日後に返却されたが。この件は今でもよく分からない。) 
衣服も全て回収されて、精神病院の緑色の服に着替えさせられた。 
顔写真も撮影された。これは、薬を配る際に本人確認をするためである。 

夜眠る際、1日に起こった事を思い出して、泣きそうになった。 
朝起きたときはこんなことになるなんて思いもしなかった。 
その日は家族で焼肉に行くことになっていた。 
俺があんな事をしなければ、家族仲良く焼肉にいって、自分の布団で眠りについていたのに。 
しかし現実は保護室のカチコチのベッド。後悔しても、全てが遅すぎた。 
保護室とは行っても、部屋の外には自由に出ることが出来た。 
ただ、そこも保護室のエリアなので、出ても大して自由に動けるわけではない。 
自由に動けるのは10メートルくらいの場所で、そこにトイレと電話と食事をする為のテーブル・椅子があるだけ。 
テレビはもちろん無い。 
新聞・本・雑誌など、治療に関係ないものは持ち込み不可。iPodなどもってのほか。 
筆記用具もだめ!院内は全面禁煙なのでタバコもだめ。 
ただ、O病院の隔離室に比べると、他の患者さんとの交流があるため、まだ精神的に楽である。 
ここで仲良くなった患者さんとは、保護室を出て一般病棟に移ってからも仲良くさせてもらった。

111: 1 2011/04/03(日) 00:43:34.28 ID:ivZh0DNT0
この病院では16歳の少年が入院していた。 
彼も暴力沙汰で入院したらしい。やっぱり若いと暴力沙汰が多いのだろうか。 
風呂はO病院と違って週に3回だった。1回増えるだけでもずいぶん違う。 
保護室には約2週間ほどいた。 
一般病棟に移って、部屋に案内されたとき、驚いた。 
なんと、自分のベッドにテレビがある!! 
他の部屋を見てみると、1人1人にテレビが与えられているのだ。 
私はなんてリッチな病院なんだ!と感動してしまった。 
テレビを見るには1000円でテレビカードを購入しなければならないのだが、これで16時間半視聴できた。 
精神病院は大体ホールに1台しかテレビが無くて、その病棟で1番権力を握っている人間がチャンネル権を握っていて、好きな番組など見れないものだ。 
それが、この病院では好きな時間に好きな番組が見れるのだ。 
これが私にとってはとてつもなく素晴らしい事の様に思えた。 
院長最高!心の中でそう叫んだ。

112: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 00:44:30.48 ID:FH78MlPfO
>>111

やっぱり当たり外れあるんだなぁ

113: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 00:47:20.72 ID:1WBOkCgw0
>>112

どうも、動物病院のようなところやら比較的落ち着いたいいところとピンキリっぽい

114: 1 2011/04/03(日) 00:49:12.36 ID:ivZh0DNT0
この病棟は男忄生だけの場所で、最初こそは女が居ないのではつまらんなぁと思ったのだが、入ってみると男同士のほうが断然楽しい。 
O病院では男女のトラブルが少なからずあったのだが、この病院ではそんな事で悩むことは一切ないし、男同士の友情みたいなものも生まれてきて、入院生活は辛いながらもお互いに支えあうような部分が出てきた。 
お互いに夢を語るもの、家族の事を思い出して泣き出すお父さん、色んな人がいたけど、やっぱり私は男同士の方が気楽で楽しいかった。 

しかし、一応は精神病院なので、変な患者もやっぱり居る。 
何の意味があるのかは知らないが、 
「カッ!カッ!カッ!カッ!カッ!カッ!カッ!カッ!」 
と常にタンを切るような(?)声を出している人がいて、これがたまらなくうるさかった。 
たまに俺の部屋にゴミを投げ込んできたこともあった。 
看護師に「それは何の音ですか?」と聞かれても「いや、なんでもないんですよ?ええ、なんでもないんです。」と答えていたから、特に意味は無いんだろう。
単なる癖だろうか。だとすれば迷惑な癖だ。 

それから、別の病棟での話だが、「あの看護師を杀殳せ」という幻聴が聞こえてきて、箸で看護師の背中を刺したというような事もあったらしい。 
これぞ精神病院!というような出来事ではあるが、やはり身近で起こると恐ろしい。

116: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 00:52:58.62 ID:FH78MlPfO
>>114
 
何するか分かんないのは病んだ人間の恐さだよな

115: 1 2011/04/03(日) 00:52:32.87 ID:ivZh0DNT0
入院中、IQ検査と心理検査を受けた。
O病院でもIQ検査は受けたが、その時の数値に比べて動作忄生IQが25もあがっていた。 
というか、O病院で受けた時の数値が低すぎたんですが。 
検査結果はどこの病院でもそうですが、あまり詳しいことは聞かせてくれない。 
IQの数値も、母が聞いていたらしく、それをこっそり教えてもらったものだ。 
そうこうしているうちに8月中旬になって、退院になった。 
入院生活は辛かったが、O病院に比べればマシだった。あそこは地獄すぎた。 

退院後は入院中我慢していた反動ですぐに酒を飲み始めた。 
それからアルバイトも始めた。 
倉庫内軽作業は暑い、単調、おっさんがネチネチうざいなどで、まわされた日数の仕事をこなした後すぐ止めてしまった。 
その後飲食店のバイトを始めたが、体調を崩して2日休んだ際に、店長に注意されたのが気に入らず、酒を飲んだ勢いで文句を入れて止めてしまった。 
(私には咳やくしゃみが出ている状態で人にお出しする食べ物など作りたくない!という考えがあった。) 
この二件で、自分は何も続かないクズ人間だと再確認した。 
唯一続いているのは、飲酒だろうか。 
飲食店のバイトをやめてからは、連続飲酒(※6)のような状態になっていた。 

※6 
基本的に起きている間はずーっと酒を飲んでいる状態。 
食事もほとんど取っていない事が多い。 
だから栄養失調になっていて、いつも下痢。 

117: 1 2011/04/03(日) 00:55:22.43 ID:ivZh0DNT0
そして11月の下旬、朝から酒を煽っていた私は、この日、酷く悪酔いしていて、機嫌が悪かった。 
詳しい話は省くが、最終的に私は人に怪我をさせてしまった。 
その後、私は祖父に電話して、自分を精神病院に入れてほしいと話した。 
ある程度酔いが醒めてきて、自分が危険人物であると自覚したからだ。 
このまま自分を放っておくと、杀殳人まで犯しかねない。 
そうなる前に、精神病院に入って矯正してもらわなければ、そう思った。 
祖父はかなり狼狽していたが、とにかくそっちに向かうと告げて電話を切った。

118: 1 2011/04/03(日) 00:59:12.00 ID:ivZh0DNT0
数時間後、被害者はパトカーに乗った警察官を連れて戻ってきた。 
警察官は「もう暴れるなよ。」と言って、私の体をポンポンと叩いてボディーチェックしだした。 
このまま傷害罪で拘置所行きか、と思ったが、連れて行かれたのはK病院だった。 
K病院につくと、50代くらいの優しそうな女忄生医師(主治医の斉藤先生)が居て、私を見るなり「まぁ、全てを見通していそうな澄んだ目やね。」と言った。 
流石精神科医、まずはおだてて落ち着けさせようという魂胆か。 

色々と話をして、当然入院するという話になった。 
任意か強制かは分からないが、入院期間は1ヶ月という予定だった。 
最初は保護室からスタート。
風呂は週3回。男女共同の病院。テレビは各部屋にあった。 
喫煙室があって、深夜や明朝以外は自由にタバコが吸える環境だった。 
私はとても母親にタバコを持ってきてくれと言えるような状態ではなかったので、結局禁煙することになったが。 
保護室からは2日ほどで出られた。 
私が深く反省しているというのが斉藤先生に伝わったからだった。 
実際、本当に反省、後悔、懺悔の毎日だった。 
今まで、暴れたり、自分を傷つけたことはあっても、人に怪我を負わせるまでの事をした事は無かった。 
しかし、元々私の中に残虐忄生が潜んでいたのかもしれない。 
もしかしたらこういうことになるのも、時間の問題だったのかもしれない。 
私は生まれながらにして犯罪者の血をひいていたのか、そんなことを考えていた。

121: 1 2011/04/03(日) 01:01:11.64 ID:ivZh0DNT0
一人優しいおじさんが居て、「おっちゃんは欝やねんけど、兄ちゃんは何で入院してんの?」と聞かれたので、人に怪我をさせてしまったことを打ち明けてみた。 
すると「カッとなったらな、何も考えられんようになるからな、あかんで。カッとなったらあかん。冷静に、な。」と言われた。
その後の入院中、カッとなるような事があっても、とりあえず心を落ち着けるようにした。 
ある程度感情のコントロールがきくようになってきたのは、この頃からだったかもしれない。 
そのおじさんにはボールペンをもらったり、ジュースをおごってもらったり、色々世話になった。 
(入院中はボールペンみたいな何でも無いものが意外と貴重だったりする。) 

この病院ではそれほどおかしな人は居なかった。 
認知症の進んだ人は何人か居たが、1ヶ月半居た間に保護室に入れられた人は数人だけだったし、そのうちの半分は 
「ちょっと不穏な感じですから、保護室で様子を見ましょうか。」 
という平和的な方法で入れられた。 
(もちろん、もう半分は看護師に引っ張られて入れられたわけですが。) 
ただ、テレビのリモコンを1人で独占しているおっさんは皆に嫌われていた。

122: 1 2011/04/03(日) 01:04:10.17 ID:ivZh0DNT0
途中、バウムテスト、ロールシャッハテスト(※7)とIQテストを受けた。 
バウムテストとロールシャッハテストの詳しい結果は知らせてもらえなかったが、IQテストの数値は母によるとS病院で受けた結果とほぼ同じだったらしい。 
(IQテストの詳しい数値も患者には知らせてもらえない。 
テストを受けるだけ受けさせておいて、詳しいことは何一つ教えてくれないのだ。) 
入院して3週間ほど経ったある日、退院日を決めるために母と祖父母が病院にやってきて、私と斉藤先生、ケースワーカー、臨床心理士と家族の合計7人で話し合いが行われることになった。 
話し合いはまず、私抜きで行われた。 
患者がいると話しにくい事などが沢山あるので(というかそれがほとんど)患者は話が済んでから呼ばれるのが普通。 
そこでまたもや母親が私の飲酒問題についてあれこれと話したらしく、最終的に私が話し合いに加わった頃には、退院の話からは完全に逸れていて、 
「言いにくいんですが、あなたはアルコール依存症(※8)なんです。」 
という話になった。 
家族はみな深刻な顔をしていたが、喜怒哀楽のうちどれかというと、怒と哀が混ざり合ったような感じだった。 
そして、アルコール依存症を治療するため、別の医療機関に転院するということになった。 
つまり、退院は取り消しになったと言うわけである。 
結局私は転院先の病院が見つかるまで、合計1ヵ月半K病院に居た。 
年越しも病院だったのだが、できれば「M-1グランプリ」と「ガキ使の笑ってはいけない」は家で酒を飲みながらゆっくり見たかったなーというのが本音だった。 
今考えれば、どこまで呑気なんだろうと呆れてしまう。

123: 1 2011/04/03(日) 01:05:07.99 ID:ivZh0DNT0
※7 
左右対称になったインクの染みを見せられて、何が見えるか答える。 
その後、何故そう見えたのかも答える。 
バウムテストと同様、非常に有名なテスト。 
詳しい結果は聞かせてもらえなかった。 

※8 
昔は慢忄生アルコール中毒と言われていた。 
いわゆるアル中。

124: 1 2011/04/03(日) 01:07:12.77 ID:ivZh0DNT0
転院先の病院はアルコール治療専門の病院であるA病院になった。 
この病院も種類的には精神病院なのだが、今まで入院してきたO病院・S病院・K病院とは違い、開放病棟(※9)となっていて、これが私にはたまらなく嬉しかった。 
また物の持ち込みも比較的自由になっており、パソコン(ネット可!)、ケータイ、携帯ゲーム機、お菓子、調味料、タバコ、ヒゲソリ、ほとんどのものが自由である。 
逆に禁止されているのは、アルコール、薬物くらいである。
自宅から遠く離れた田舎にある病院なのだが、敷地内には猫、野鳥などの野生動物が数多く生息しており、これが私の荒んだ心を癒してくれた。 
入院患者の多くが特に猫をかわいがっており、朝食に支給されるパンの一部を餌として与えている者が多かった。 
私はいつもパンを窓際に置いていた。 
こうしておくと、野鳥がやってきて、数分もすると無くなってしまうのである。 
これが私の毎朝の楽しみであった。 

この病院では現金の所持が許可されいるため、当然近くのコンビニなどで酒を買って飲むものが出てくる。 
こういった者は見つかり次第、隔離室に入れられる。 
ただ、その期間はさほど長くはなく、ほとんどの者が数日で出てきているようだった。 
私はO病院の隔離室で懲りていたので、酒を飲もうなど考えもしなかった。 
これは精神病院に共通する事だが、治療などあってないようなもので、ただ薬(※10)を飲まされて、たまに断酒会(※11)に出席する程度のものである。 
入院して最初の頃は「酒は体に悪いんだよー!」という学習会のようなものがあるが、これも数回で終わってしまう。 
本当に、精神病院は薬を飲んで寝ているだけの場所なのだ。

127: 1 2011/04/03(日) 01:07:59.05 ID:ivZh0DNT0
※9 
外に自由に出られる、いわゆる普通の内科病院と同じ病棟。 
鉄格子や強固なガラスで出来たドアなど存在しない。 
逆の場合を閉鎖病棟と呼ぶ。 
閉鎖病棟の苦しさは入ってみないと分からない。 

※10 
薬は精神安定剤と抗酒剤。 
抗酒剤は普通の人にとって馴染みの無い薬だと思うが、簡単に説明すると、体を極端に酒に弱い体質にしてしまう薬である。 
酒が体に入るとアセトアルデヒドに分解されて、それが最終的には水と炭酸ガスになるが、抗酒剤を飲んでいると、アセトアルデヒドの分解が妨害されて、非常に苦しい思いをする。 
アセトアルデヒドは毒忄生の強い物質で、動悸、嘔吐、顔面紅潮の原因になると言われている。 
抗酒剤を服用しながら酒を飲んだ人の話を聞くと、大半の人が「心臓が物凄い勢いで鼓動して、頭がくらくらして、タヒぬかと思った」と語る。
そのまま救急車で運ばれる人も少なくない。 
抗酒剤には液体のシアナマイドと粉状のノックビンがある。 
前者は即効忄生があるものの、効果が1日しか持続しない。 
後者は即効忄生こそないものの、効果は1週間ほど持続すると言われている。 
私は両方を服用した。

128: 1 2011/04/03(日) 01:09:07.25 ID:ivZh0DNT0
※11 
文字通り、酒を断つ為の集まり。 
アル中のおっちゃんが集まって、「私は酒を飲んで、こんな失敗をやらかしたんですわ。」という話をし合って、酒を断つ意味について話し合う。 
中にはやたらと感情を込めて、格好つけて話をする人もいる。 
昔の失敗談を掘り起こす事によって、喉もと過ぎれば熱さ忘れがちな事も、忘れないで断酒を継続していくのが目的。 
「断酒○年継続の××さん」といった形で表彰されることもある。 
中には30年とか40年も断酒している人も。 
近年女忄生のアル中患者(アメシスト)が急増しているらしく、おばちゃんもちらほら見られる。 
合言葉は「一日断酒」「例会出席」。 
ちなみに全日本断酒連盟は略すとZDRと言う。ちょっとカッコイイ。

129: 1 2011/04/03(日) 01:10:34.98 ID:ivZh0DNT0
入院患者のごく一部には、見るからに「アル中のおっちゃん」のような人もいるが、残りの人は普通のサラリーマンみたいな人か、定年退職したおじいちゃんのような人が多い。 
患者の種類は路上生活者、生活保護を受けている者から、サラリーマン、中小企業の社長さんと言った方から、中には元自衛隊、大学教授(!)といった人までいた。 
アルコール依存症はどんな人格者であろうと、どんなに屈強な精神力をもつ人であろうと、誰もが発症する可能忄生のある病気なのである。 
また、アルコール依存症は進行忄生の病であるのと同時に、完治はしないので、治療方法は「断酒」、これしか無い。 

それから、認知症が進んでいる人もわりと多くて、私も以前病室が一緒だった人に「どうも、元気にしてますか?」と声をかけてみると、「あ?お前誰や?」と言われたことが一度ある。 
物覚えが極端に悪くなってきた場合、コルサコフ症候群となったり、大脳が萎縮してきたりするとアルコール痴呆となる。 
萎縮で思い出したが、長年にわたって大量のアルコールを摂取してきた人は、CTを取ってみると大体前頭葉の萎縮が見られる。 
前頭葉が萎縮すると感情の抑制が効かなくなったり、二者択一的な考え方しかできなくなる、という風なことを聞かされた。実に恐ろしい。

132: 1 2011/04/03(日) 01:12:50.49 ID:ivZh0DNT0
この病院は一応種類としては精神科なのだけれども、入ってくる人は「ただ酒の量がコントロールできない」だけの人が大半なので、他の精神病院のように、極端におかしな人は居ない。
みな酒が入っていなければごく普通の人間だ。 
それから風呂に入ってみると、上半身に立派な彫り物をした方がかなり多かった。 
流石に現役の方ではないと思うが、そちらのスジの方も相当多いと推測される。 

大阪のアルコール専門病院でS病院というのがあるのだが、ここには吉本の大物芸能人Nも入院したとか。 
芸能人にも隠れアル中はきっといるでしょうね。特に大物は。 
A病院では、合計3ヶ月入院していたが、心身ともに健康的な生活を送っていた。 
特に精神面において健康的な生活を送れたのは、開放病棟であったというのが大きかったと思う。 
このおかげで「断酒して、生まれ変わろう!」という前向きな気持ちになれたし、O病院、S病院、K病院では常にイライラ・抑鬱状態だったのとは対照的に、毎日を落ちついて過ごすことが出来た。 
A病院での日々はわりと平凡だったため、ここで書いて面白いようなことはあまり無い。 
退院後は断酒会ではなく、AA(※12)に通った。 

※12 
Alcoholics Anonymousの略。 
アルコホーリクスはアルコール依存症者、アノニマスは匿名や無名といった意味。 
アメリカで生まれた断酒の為の集い。 
断酒会では本名を名乗らなくてはならないが、AAでは別にニックネームでもいい。 
ファーストネームやイニシャルを名乗る人も多い。 
プライベートもどこまで明かすかは、本人次第。 
また断酒会は会費制だが、AAは献金で成り立っている。 
参加するたびに献金袋が回ってくるのだが、大体100円(今日1日ワンカップ飲まないでいられたなら、それを献金しようという発想) 
くらいが目安と言われた。 
断酒会に比べると、神やハイヤーパワーという単語が出てきて、やや宗教っぽさがあるのが特徴。 
ちなみにDream Theaterという有名なバンドがAAの12ステップを題材にして作曲している。

135: 1 2011/04/03(日) 01:14:58.98 ID:ivZh0DNT0
いまのところ、酒は断って、再入院することも無く、穏やかに暮らしている。 
以上! 
このスレを見ている中高生、私のような過ちを犯さないでくださいね。 
精神的な不調があれば、ためらわず心療内科などを受診することをお勧めします。 
ガンと一緒で、酷くなる前に、専門家に助けてもらいましょう。 
ただ、入院に関しては慎重になったほうがいいですよ! 
入院前に、主治医になる先生と話して、どういう治療計画なのか、外出は許可されるか、読書はOKか等々、事前に調べておいたほうがベターだと私は思います。 

何か質問があれば、興味本位でもいいので、何でも聞いてください。 
私に答えられるものなら何でも答えます。

131: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:12:13.73 ID:FH78MlPfO
酒は初めて呑んだ時ぶっ倒れた以来呑んで無いなぁ

133: 1 2011/04/03(日) 01:13:43.99 ID:ivZh0DNT0
>>131
 
アセトアルデヒドの分解が苦手なんでしょうね。 
アル中になる確率はきわめて低いですwよかったですね。

137: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:16:28.49 ID:DlE4CLFT0
答:酒はやめとけ

144: 1 2011/04/03(日) 01:27:29.37 ID:ivZh0DNT0
>>137
 
私の場合、根本的な原因は酒ではないので何ともいえないですね。

138: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:16:42.59 ID:kYglmldx0
足首に鉄球とかはめられるの?

144: 1 2011/04/03(日) 01:27:29.37 ID:ivZh0DNT0
>>138
 
それムショです。

139: 忍法帖【Lv=16,xxxPT】 2011/04/03(日) 01:22:50.39 ID:4jx1dSi1O
閉鎖病院やべーな・・・ 

>>1
はこれから将来何やるつもりなの?

144: 1 2011/04/03(日) 01:27:29.37 ID:ivZh0DNT0
>>139
 
フツーにサラリーマンやるしかないですね。 
これと言って資格もってるわけじゃないですし。

140: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:22:57.23 ID:DlE4CLFT0
思ったより酒はキツイんだな 

>>1
がドリムシ好きかちょっと気になる

144: 1 2011/04/03(日) 01:27:29.37 ID:ivZh0DNT0
>>140
 
メンバー全員好きだけど、やっぱりラブリエは格別愛してますね。 
マイク・ポートノイ抜けちゃったのが寂しい。

150: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:32:46.15 ID:DlE4CLFT0
>>144

まさかここでドリムシファンを見つけるとか意外だったwww 

結構楽しませてもらったしもう寝るかな 
>>1
はこれから良い人生送れよ

154: 1 2011/04/03(日) 01:37:19.85 ID:ivZh0DNT0
>>150
 
ドリムシで思い出したけど、アル中メドレーを完成させたってのも、 
ポートノイがドリムシ抜けるひとつの要因になったんだろうな。 

>>1
はこれから良い人生送れよ 
ありがとうございます! 

141: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:23:14.59 ID:io82HJNl0
今何歳?

144: 1 2011/04/03(日) 01:27:29.37 ID:ivZh0DNT0
>>141
 
22の大学1年生です。

145: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:28:12.65 ID:mons7jgVO
まさにお酒は楽しく、ほどほどに。だな

146: 1 2011/04/03(日) 01:29:25.91 ID:ivZh0DNT0
>>145
 
でも、ほどほどに飲んできてある日突然酒量が増えてアル中になった 
って人結構いましたからね。ほんと、いつなるか分かりませんよ。

147: 忍法帖【Lv=6,xxxP】 2011/04/03(日) 01:30:10.60 ID:NzeZfiO10
スレ読んだ感じ精神病院って入る方も嫌なんだろうけど、そこで働いてる人はもっと嫌なんじゃない?てか、怖くない?

149: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:31:20.72 ID:1p7nDm050
>>147
 
向こうも一種の精神病だと思うな

151: 1 2011/04/03(日) 01:33:21.19 ID:ivZh0DNT0
>>147
 
それも病院によって全然違うんですよ。 
O病院はスタッフも患者も結構杀殳伐としてたんですが、他の病院は看護士と患者が友達みたいな感じで、和気藹々としてました。 
ほんっと、場所によって全く違うんです。 

>>149
 
精神科医の自杀殳率って、他の医者に比べて高いらしいですからね。 
精神病も伝染するのかもしれない・・・。

156: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:41:02.32 ID:VNSw3Jjq0
IQはやっぱ高かったの? 
まあ聞くまでも無いか

159: 1 2011/04/03(日) 01:44:23.46 ID:ivZh0DNT0
>>156
 
言語忄生130 動作忄生100くらいです。 
言語忄生の方は検査するたびに5くらい変動します。 
動作忄生の方は最初計ったとき75だったらしいです。

158: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:42:04.83 ID:acc4IOmaO
すごく読みやすかったよ 
文章書くのうまいなうらやましい 

159: 1 2011/04/03(日) 01:44:23.46 ID:ivZh0DNT0
>>158
 
ホントですか? 
私作文とか超苦手だったんですけどね。

164: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:51:37.56 ID:VNSw3Jjq0
>>159
 
学校の作文では文才は計れないもんだよなあ、やっぱ 

ってか
>>1
が異常だとは俺には思えない 
極論かもしれないが、規律や統制、標準化を強要する社会こそ異常だと俺は思う 
最初に出てきた上条医師やその病院なんか端的な例で、読んでるだけでむかむかしたわ

166: 1 2011/04/03(日) 01:55:50.51 ID:ivZh0DNT0
>>164
 
ウーン、人が異常かどうかっていう判断は難しいですよね。 
全く異常でない人間は勿論いませんから、結局程度の問題なんでしょうね。 
私の場合、周りに著しく迷惑をかけていた訳ですから、社会的に見ればやっぱり異常者ってことになるんでしょう。

160: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:46:24.91 ID:9tKEAj+c0
なんか楽しかったし勉強になったわ

161: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 01:46:35.82 ID:NXUSnhodO
>>1
乙 面白かったよ! 
今まで苦労してきた分これからは楽しい人生を送ってくれ 
おやすみ

168: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 02:03:03.07 ID:EF2jJLqm0
すごく面白かったです。 

本にしてほしいくらい興味わいたし読みやすかったです。

170: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/03(日) 02:06:56.80 ID:e3UFTETK0
自分はアスペだけど、その診断の時に受けたIQテストの結果は普通に見せてもらえたな
でも小学生の時に受けたテストの結果は何も教えて貰えんかった 

昔は癇癪あったけど今では立派な自責と罪悪感の塊です 
酒飲む習慣はないけどこれからも飲まない方がいいのかもしれん……健康酒とか果実酒を手作りするのに興味あったんだけど

171: 1 2011/04/03(日) 02:07:06.63 ID:ivZh0DNT0
質問もないようなので、そろそろ寝ます。 
見ていただいた方、ありがとうございました。 
それでは、精神病院選びは慎重に・・・!
引用元:https://www.logsoku.com/r/2ch.net/news4vip/1301749292/
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